「死」は常に意識していたい
Wedge 2023年3月号 「多死社会を生きる」
個人的には死の話題を「縁起が悪い」とは思っていないし、むしろ大事な事なので特に家族とは積極的に話したいと考えている。とは言え「すぐ目の前に迫っている問題」ではないから、話し始めても着地点を見失ったままで何となく終わる事が多い。
Kindleで命や死に関する本を購入してもみたがまだ読めていない。まずはWedgeを読んでざっくり現状を確認する。
以下印象に残った箇所。
「死者に関する地域課題は主に公衆衛生の範囲とされ、医療・介護のような福祉とは切り離されてきた。特に葬儀・火葬は宗教の問題とも密接であり、政教分離の観点からも行政が踏み込みづらく、家を基盤とした血縁者集団の役割とされてきた。(国立歴史民俗博物館副館長・山田氏)」
例えば病院で亡くなった場合は遺体を速やかに搬出しなければならない、という話を以前知人から聞いたとき、「えっ、葬儀屋とか病院の方で斡旋してくれたりしないの?」と思ったんだけどそういうことなのね。最近は核家族化、単身世帯の増加でその風潮も変わりつつある、とのことである。
「諸外国では(安楽死の法制化実現までに)長年の議論と運動を経てきたことが窺える。日本が多死社会に向かっているとはいえ、国民的な議論やコンセンサス、または制度上の仕組みなどの基盤がないまま安楽死を認めようとする考えは、大きな過ちに繋がりかねない。(ジャーナリスト・宮下洋一氏)」
「安楽死は”死ぬ権利”に勝る権利がないとの考えに行き着いた個人主義社会の欧米だからこそ成り立つ制度であり(中略)、だが日本のように個人よりも集団における調和を重んじる社会では、同じ制度を取り入れても彼らのような認識に至ることは難しいということだ。(同上)」
日本では「介護は家族がするもの」という呪いが今でも確実に存在しており、老々介護や介護疲れなどから痛ましい事件となったニュースを目にすることがある。実際にはそこまでに至らなくても、介護する側が「頼むから早く死んでくれ」と願い、介護される側が「こっちだってはよ死にたいわい」と思っているような状況は日本中にありそうだ。私は、日本でも安楽死が実現すればそんな不幸には陥らなくても済むのに、と思っていたが、「まわりに迷惑をかけたくないから安楽死を選ぼうとする空気が日本にある」ことを宮下氏は危惧する。あくまで個人主義の究極である欧米の安楽死制度を、そっくりそのまま日本に持ってきたとして、あなたが安楽死を選ぶのは自分の為か家族の為かと問えば、多くの日本人は「家族の為」と答えるのではないか。
姥捨て山制度、口減らし制度。それが日本の安楽死の内実だとしたら、あまりに悲しすぎる。
日本に欧米のような個人主義が確立するのはまだまだ先の事になりそうだ。
おまけ
死とは関係ないけど、おもしろいと思った部分。
「例えば人間とチンパンジーの遺伝子の違いは1.5%しかない。しかし遺伝子が1%変化するのに600万年、30万世代という途方もない時間と”Turn Over”が必要になる。(東京大学教授・小林武彦氏)」
チンパンジーにタイプライターを叩かせて、まるで人間が書いたような文章を作る可能性は?みたいな話を最近どこかで聞いたので、それを思い出して「進化ってそんなレベルの話なんだ。絶対無理じゃん」と思ったという話。