倹約独身ひとり暮らし中年男子の備忘録

小さく豊かに暮らしたいひとり暮らしおじさんの生活備忘録

自分の中にいる、もうひとりの自分との対話

fujinkoron.jp

単純に「友達は多い方がいい」と考えている人は

いくら和田先生にそう言われても納得できないだろう。

なぜならその人は「友達は多い方がいいに決まってる」と長年思い込んだまま

そこに疑問や別の思想が入り込む余地を与えて来なかったから。

自分でも普遍的だと信じていた価値観が実は外側から押し付けられたものであって、

全く別の価値観が存在しうるなんて考える機会がなかったから。


大事なのは「他の誰でもない、あなたはどう思うのか」という視点である。


高齢になれば脳も衰えてくる。

特に前頭葉の衰えは、ものを疑う能力が低下する。

長年の「こうあるべき」という価値観をアップデートすることは

高齢者には年齢が上がるほど難しくなっていく。

まだ頭の柔らかいうちに身の内にある価値観について

「私はどう思うか、自分にとってどういう生き方を選ぶのが幸せなのか」と

自問自答してみるといいと思う。

悟りに至った高僧でさえも抑えるのが難しいというアレ

雑誌「ゆうゆう」の連載記事、50代からのすっきり人生相談

2023年6月号は「稼ぎで人を判断することなく自己肯定感を上げるには」でした。

 

相談者さんの女性は

社会で活躍している同性の同級生や出世した元同期をうらやましく感じて自己肯定感が下がる

とのことで、それに答える坂東眞理子氏は

知っている同性が出世すると「昔は私の方が出来たのに」「彼女に比べていまの私は」という嫉妬心は、悟りに至った高僧でさえも抑えるのが難しいとされています

と記した後で、

そのような負の感情は野放しにせず「人は人、自分は自分」と唱える、うまくいった人を讃えるなどして自己肯定感を高めましょう

とアドバイスを送ります。

 

さて、私は自分で言うのもアレですが、新卒で今の会社に入社した当時はそこそこ高い評価をいただいていました。しかし自己管理能力に難があったり、また会社が買収されたあと人事の評価基準が変わったことに対応できず、アラフィフとなった今では低賃金のヒラ社員として働いています。新しい可能性を信じて外に飛び出すことはせず、先の見えている今の会社に居座る事を決めているわけですが、現在の収入を同期や学生時代の同級生と比較すると情けない気持ちになることは否定できません。

考えても仕方ない、この先も大きく変わる事のない現実を受け止めて心穏やかに自分の人生を生きて行こう、と考えているのですが、このような「負の感情に蓋をする」心の持ちようは果たして正解なのだろうか、と迷うことがあります。

坂東眞理子氏が「悟りを開いた高僧でも難しい」というこの嫉妬心(私の心にあるのが嫉妬心なのかただの劣等感なのかは分かりません)、どのように処遇するのが適切なのでしょうか。いまのところ答えはわかりません。

ひとりでできる趣味の話

わたくし、基本的に一人でいるのが好きなので

交友関係はごく限定的で、こちらから連絡をして会うような友達はいない。

仕事が休みの日は朝起きてから夜寝るまでずっと一人で

特にそれが苦しいとか寂しいとかは思わないのだが

なんとなくスマホやパソコンを見てダラダラと無為に過ごすのは

精神的にも身体的にも良いはずはなかろうと。

友達がいない自分でも一人でできる趣味は持っていた方がいい。

好きなこと、あまりお金のかからないことを趣味にしたい。

 

ということで今回取り上げるのは「音読」

ただ声に出して文章を読む、あの音読だ。読み聞かせとは違う。

私の場合、ネットやマガジン系サブスクで気になった記事を音読することが多い。

感情を乗せる、アナウンサー気取りで読むなど、いろいろ変化を付けたり

口がよく回ってスラスラ読めた時は気持ちよくて、案外たのしい。

そして実は、音読には科学的根拠に基づいたメリットもあるいう。

 

①「脳を活性化させる」

読む・聞く・話すという動作を同時に行うことで脳の血流がアップし、脳の前頭前野が活性化することが分かっている。一日中一人で過ごして誰とも会話しなくても、音読することによって脳に刺激を与えることが出来る。また前頭前野が活性化することで神経伝達物質である「セロトニン」が分泌され、昂った気持ちを抑えるリラックス効果/ストレス軽減効果がある。

 

②「のどの筋肉を鍛える」

発声することでのどの筋肉が鍛えられ、誤嚥性肺炎の予防にも期待できる。最近増えているというシニアの誤嚥性肺炎。楽しく音読して病気の予防にもなるなら一石二鳥。

 

③「新しい知識が得られる」

わざわざ時間をかけて音読をしたくなる記事は自分にとって有益だと思えるもの。黙読のように飛ばし読みはせず、文字を追って理解しながらしっかり読む為、記憶に残りやすい。

 

知的好奇心が満たされ、脳が活性化され、心にも体にもいい。

そこそこ時間を使うし、ひとりで出来てお金もほぼかからない。

おひとりさまシニアの趣味としてはなかなか良いのではないだろうか。

レコードを買いに

隣町まで中古レコードを買いに行った。

普段オークションサイトや国内外の中古レコードサイトで物色しているが、昨今の世界的なレコードブームもあり、欲しいものを手に入れるのは簡単ではなく、落札・購入できたとしてもそこにかかる送料は馬鹿にならない。

なので中古レコードショップにはずっと行きたかったのだが、これまではコロナの影響もあり躊躇していた。この度は季節もよくなったしたまたま連休ももらえたので行ってきた。

結果から言えば、行って大正解だった。

オークションではなかなかめぐり合わせが悪くてずっと落札できなかったものや、探していたけどまさかここにあるとは思わなかったものに出会えて、合計5枚のレコードを購入、2,882円。安い。

今は100枚のレコードを所有しているが、増えすぎても困るのでここからはしっかり吟味して購入しよう。将来住む部屋には↓こんな感じでオーディオコーナーを作りたいなぁ。

 

pin.it

明日の自分は、今日の自分が作る

omny.fm

一条ゆかり先生へのインタビューで「敵、味方は誰ですか?」と尋ねたら

「自分の敵は今日の自分、自分の味方は明日の自分」

と言われたそう

スーさんの言葉では

明日の自分に納得してもらう為に今日の自分と戦う

今日の自分の能力を疑って努力して、出来るようになっている明日の自分を信じて頑張る

 

人間、いくつになっても向上心やね

 

 

 

 

「答えより大切なこと」について

https://www.fujisan.co.jp/product/308/b/2356803/

雑誌「男の隠れ家」2023年4月号の特集は『禅』

 

                  

その中で、妙心寺退蔵院副住職 松山大耕さんが書かれたページ「ググることになれた大人へ 答えより大切なこと」に目が留まった。

修行僧時代の禅問答について。各修行僧たちは老師から「公案」と呼ばれる課題を与えられ、日々の修行中(多い時は1日に4、5回も)鐘の音が鳴れば本堂に集まり、ひとりずつ老師と謁見して「公案」に対する自分なりの答えを伝える、これが禅問答。しかしこの「公案」、答えが容易に見つかるようなものではなく、例えば松山氏はあるひとつの「公案」をクリアするのに7カ月も要したのだとか。ヒントも何もなく、もはやどうしていいか分からないまま答えとも思えない答えを伝えた時「それだ、それも禅なんだ」と老師がおっしゃったとのこと。しかし、松山氏がその本当の意味について気づいたのは修行を終えて2、3年経った後だったそう。

松山氏は言います。

「ヒントや答えをもらっていたら何も残りません。考えて考えて、正解だと言われてもなお考える。その過程を経て、自分の芯のところに落ちます。答えだけを知っても意味がありません。(中略)効率を求めるのも分かります。けれどそれで得た”情報”は腹に落ちることはない。ましてや、人は何のために生きるのか、幸せとは何なのか、そうした人生の本質はどこで調べるものでもなく、自身で考えていくしかありません。考えて考えて腹に落ちたことは決して忘れません」

昨日片づけの記事の中で「人は誰かに教えられたことより自ら気づいたことに価値を見出す」という事を書いたので、個人的にタイムリーに感じて特に目に留まりました。

私たちは修行僧ではないので、考えることにそこまでストイックにならなくても、すでに他の誰かが見つけた答えやヒントを自分の生き方の参考にしてもいいと思う。しかしそうは言っても現代は情報が多すぎる。「幸福力を高める」とか「生き方上手になる」とか「人生が輝く習慣」とか「これからは私基準で」とか「捨てることから始める幸せ」とか、そんな雑誌の特集やWeb記事で世の中溢れている。みんな手っ取り早く簡単に答えに辿り着きたいから「〇〇するためのたった一つの方法」みたいなのにつられてしまうのかもしれないけど、そこにはあなたが求める「真に価値ある答え」はないんだよという事。

私は独身。幸い他の家族に煩わされることもなく、ひとりで考える時間はいくらでもある。これからの生き方、自分にとっての幸せとは。そんな簡単には答えが出ない問いを、自分の中で禅問答のように繰り返す。

片付けられなかった私が片付けられる人になったワケ

子供の頃から片付けが苦手で、18歳から一人暮らしを始めて以来ずっと汚部屋の住人だった私が片付けられる人間になれた理由。

それは、もし自分が死んだら家族がこの部屋を片付けるのかと想像した時に、急に「なんとかせねば!」と思ったから

40代も半ばを過ぎると身体の各部位に老いが出はじめ、健康診断の経過観察項目も増えてくる。若い頃は死について我がこととして考えることはなかったが、「自分の死」という現実が着実に近づいてきていると実感すると人は変われるのだ。

モノを処分する時の判断軸にしたのが「もし1年後に自分が死ぬと分かっていても持っておきたいものなのかどうか」ということ。処分するか持っておくかの判断が瞬時にできて、びっくりするくらいポイポイ捨てられる。あれほどモノを捨てられずモノに執着していた私が、である。

そして片付いていない散らかりっぱなしの部屋で過ごすのは潜在的に大きなストレスである。何年か前、一念発起して大掃除をした時はキレイに片付いた部屋に帰宅することや部屋で過ごす時間が意味もなく楽しかった(その後部屋はすぐに散らかってしまったが…)。精神衛生的にも部屋を片付けることには意味があるのだ。

①自分が死んだ時にこの部屋を家族に片づけられるのは嫌だ。

②1年後に自分が死ぬと分かってても手放したくないもの以外は、実はそこまで大事なものじゃない。

③散らかった部屋は潜在的にストレスを感じ、部屋が片付いているというだけでストレスが減る。

片付けられない私が片付けられるようになったのは上記のような理由だが、きっと人によって答えは違うはず。自分と同じく、物が捨てられない実家の母にこの方法を伝えたが全く響いていなかった。

「人は誰かに教えられたことより自ら気づいたことに価値を見出す」と言われるように、こうしたらいいよと人から言われても体は動かない。一番納得できる方法を自分で見つけることが行動につながる。